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Cyborg

 

 1927年のドイツで「メトロポリス」という膨大な製作費をつぎ込んだ無声映画が上映された。当時、ドイツの映画は世界的にみてトップクラスであり、またその膨大な製作費から、この映画は非常に期待されていた。しかし結果は大コケしてしまい、以降これをきっかけにドイツ映画が没落していった。ただ、このいっけん期待外れにみえるこの映画は、「SF映画の原点にして頂点」と称され、現在のSF映画に多大な影響を与えている。今回はこの「メトロポリス」という映画を挙げ、サイボーグというものについて考えていきたい。

 まずこの映画は2026年という100年先の世界を描いている。さらに、摩天楼がそびえ立ち、高度な文明によって平和と繁栄がもたらされた近未来架空都市「メトロポリス」を舞台とした作品である。この「メトロポリス」という都市は摩天楼の上層部に住む限られた知識労働者と、地下で過酷な労働に耐える労働階級に二極分化した徹底的な階級社会であった。こういった社会情勢対し、ある労働階級の娘「マリア」は矛盾を説き、「脳」(上層部)と「手」(労働階級)を結びつける「心」が必要だと持論を展開し、労働階級の支持を受ける。マリアの考えに危機感を覚えた上層部は、ある学者にマリアを誘拐させ、マリアににせたサイボーグを作らせた。上層部の狙いはこのサイボーグ化した偽のマリアを労働階級に送り込み、マリアを支持する労働階級を壊滅させることにあった。ただ、サイボーグマリアを作った学者は、メトロポリス自体の壊滅を望み、その意思をサイボーグマリアに反映させてしまう。この学者の思惑通り、労働者を扇動したサイボーグマリアはメトロポリスの心臓部を破壊してしまう。結果的に、その後異常に気付いた労働者によってサイボーグマリアは火あぶりの刑にされてしまう。

 この映画の冒頭と終わりには「脳と手の媒介者は、心でなくてはならない」というメッセージが出てくる。いわゆるこの映画での「脳」とは上層部で、「手」とは労働者階級のことを指している。それらを結びつける「心」、つまりマリアは、学者によってサイボーグ化され、心を失ってしまう。そして心無きサイボーグはもちろん上層部と労働者の媒介者とはなりえず、メトロポリスの崩壊という結果になってしまった。この映画では「人間の持つ心」を引き立たせるため、あえて心を持たないサイボーグを使用したと考えられる。1927年という約100年前の映画にも関わらず、サイボーグという人間に酷似する特殊な存在を非常に有効に利用したSF界の金字塔であると私は考える。

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